|
こちらに来たのは1988年でした。日本のバブルの頂点でしたが、アメリカの景気は日本とは逆で、80年代の不況から好景気に入りかけてきたころでした。それ以来、温暖で体に最適な気候、自動車の渋滞もなく、そして物価が安いという三大恩恵を感じながら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
サンフランシスコは、不動産の値段が米国でも高いところなのに、いきなり5階建てのビルーアパートを買い求め、自分の家、そしてコーヒーショップまで買いました。新聞に半ページの大きな広告も出しました。まもなくゴルフの練習場(まだサンフランシスコには4軒しかなかった)を手に入れ、地元のプロも4人雇いました。
この練習場は好評で、銀行の頭取や総領事の夫妻も通ってくれました。当然ながら気分的に反発の妬みやら、嫉みがあって当たり前です。しかし、妨害とか、嫌がらせよりは逆に話しかけてくるほうが仕事柄多かったように思います。バリバリやったおかげで、ショーンという名前もアメリカ人からもらいました。
アメリカの不動産は日本の不動産と違い買い手は一切コミッションはいりません。日本は買手売り手両方から平均3%とられます。アメリカはお金の入った売り手から6%もらいます。しかし、何度か購入した不動産を売るたびに、1000万円以上のコミッションを払ううのが馬鹿らしくなりました。
それなら自分で勉強して不動産の資格を取ってみようと頑張ってみました。
不動産の資格は、割に簡単に取れました。それで、今度は不動産の評価とかローンの資格もあるブローカーの資格に挑戦することになりました。しかし、これは大変でした。10人に一人の資格ですから4時間の試験を300問回答しなくてはなりません。それでも一年で頑張りついに物にしました。
後で聞いた話によりますと日本人のブローカーはほんの数人で、正式に登録されている日本語で不動産、ブローカーは3人ぐらいとのことでした。日本にいてライセンスを持っていた人たちも一年ぐらいで失敗して帰ってしまったといった話も聞きました。
いずれにせよ、自分でも良く頑張ったものと関心しています。これも気候が勉強に向いているゆえでしょうか。
|
|